
大正時代の結婚式事情
大正時代の婚礼衣装
行事としての様式が変わっていく中、花嫁の婚礼衣装の主流は高く結い上げた髪と豪華絢爛な振袖や帯、といった伝統的な和装でした。
1924年(大正13年)に雑誌に発表された流行歌「花嫁人形」(作詞 詩人蕗谷 虹児)の中では、花嫁の象徴として「金襴緞子(きんらんどんす)の帯」「文金島田に髪結い」といった表現が使われています。
「金襴緞子の帯」は花嫁が身に着ける豪華絢爛な帯の代名詞と言ってもいいでしょう。金糸などの文様(金襴)、繻子織の重厚な文様(緞子)はともに、高級織物の代表格です。
そして「文金島田に結い上げた髪」は、江戸時代から続く未婚女性の代表的な髪型で、髷を高く結い上げることが特徴です。
流行歌に歌われているこの姿は、大正時代の花嫁たちの典型的な衣装であり、豪華で強い印象を残す少女たちの憧れの姿だったのでしょう。新しい時代や文化の気運が高まる中でも、「花嫁衣裳」には変わらない伝統や格式を感じます。
大正時代から昭和初期頃につくられたきものはアンティークと呼ばれ、現在のきものレンタルでも高い人気を誇ります。令和の現在でも見る方の目を奪う個性的な魅力のあるきものが多く見られます。
この時代のきものに特別な彩りと個性を与えたポイントは4つあります。
- 染料の変化
大正時代に入り、日本でも合成染料の技術が発展して、着物にも使われるようになりました。それまでは草木を中心とした自然の染料で色付けされていたのですが、合成染料により彩度の高い鮮やかな発色が可能になりました。
- おしゃれな刺繍半襟の流行
もともとは汚れ防止の意味もあった半襟。大正時代にはこの半襟に贅沢な刺繍をすることが流行しました。婚礼衣装に限らず、日常使いでも色半襟や刺繍半襟はおしゃれのポイントとして使われるようになりました。「大正ロマン」の代表的な美人画家竹久夢二や高畠華宵の作品の中にも、色半襟を素敵に着こなす女性が登場しています。
- 欧風な流行の影響
明治から大正時代当時、ヨーロッパやアメリカでも新しい芸術運動が盛んに行われていました。影響を受けた日本の職人たちも伝統的な柄に加えて、これまでにないモチーフやデザインを取り入れるなど、個性的な作品を生みだしていきました。
- 生糸の品質向上
明治以降、日本の貿易を支えていた生糸の研究や品質改良が進み、当時その品質の高さは世界一とされていました。その生糸を選りすぐった最高級の正絹の持つ輝きが、きものの意匠や刺繍などの豪華さをさらに引き立たせました。
技術や品質の進化に従来の枠にとらわれない華やかな意匠が加わって、きもの文化は大正時代から昭和初期にかけて、ひとつの頂点を迎えたのです。

一方、新郎は洋装での婚礼が増え始めます。
明治時代以降、欧米の列強と肩を並べる存在になるべく、1872年(明治5年)には「洋装 = 正装」が太政官布告として公布されました。これに伴い、皇室や政府要人、ついで上流階級の男性から洋装化が進み、軍服や警官など公的業務の制服も洋装となっていきます。