
大正時代の結婚式事情
神前結婚式の展開とホテルウェディングの誕生
同じ頃、結納品の商いをしていた永島藤三郎により、永島式と呼ばれる「移動神前結婚式」が考案されました (明治41年)。内容は「結婚式概要」(大正7年版)として現在も国会図書館データベースに残されています。この中を見ると、婚禮式、婚儀などさまざまな言葉で語られていた儀式の名称が「結婚式」として統一されています。

この「永島式結婚式」は、神主や巫女などの人員や必要な道具を揃えて自宅やホテルなどへ出張して式を行うという独特なスタイルにより、都心に限らず幅広い層へと広がっていきました。
大正時代が進むころには、日比谷大神宮で挙式後に帝国ホテルで披露宴を行うことが上流階級の証とされるようになっていました。迎賓施設としても利用されていた帝国ホテルでは、20世紀建築界の巨匠フランク・ロイド・ライトに設計を依頼し、新館を建築します。
そんな新館がお披露目されたのは1923年(大正12年)関東大震災のまさに当日のことでしたが、ほぼ無傷の状態で耐え抜きました。

その後大震災で近隣の神社仏閣が被害にあったことから、帝国ホテルは館内に臨時の祭壇をつくりました。やがて美容室や写真室も備えるようになり、結婚式から披露宴まで一貫して行えるようになりました。これが現在のホテルウェディングのはじまりとされています。
その頃には全国にも西洋の技術を学んだ写真館の開業が増え、結婚の際に記念写真を撮影することが広まっていきました。